わたしが「ヨガを教える」という第一歩を踏み出すときには、
それはそれはたくさんの勇気がいりました。
でも、ある一つのことに考えついたとき、
不安は薄れ、
よし、やってみよ!!
という気持ちが湧き上がったことを覚えています。
具体的にどんなことを考えついたかというと
「体が動く限り、ヨガの先生であり続ける」
という、とても簡単なこと。
ぽわんとイメージが浮かんだのです。
痩せて、皮膚がたるんで骨に張り付くような腕。
その腕の皮膚には、シミがいっぱい浮かんでる。
ショートカットにしてて、髪の毛は全部白くなってるけど、
くせっけのおかげでフワフワ。
すこーし背中が曲がったように見えるけど、足腰はまだまだしっかりと立っている。
タレ目は目尻のシワを携えたれにたれて、ほっぺもまた同じ。
その人はすごく穏やかな顔をして、窓辺の陽射しを楽しんでいる様子。
くるっとこちらに顔を向け、私にこう言った。
「今はね、生徒さんがひとりもいないけど、私はヨガの先生なのよ」
って。
だから、毎日練習と勉強を続けているって言ってた。
それは、どこかに行かなくても、マットに乗らなくても、
日々の至る所から気付きを得て、
日々のあらゆる行動から、自分の体に気がつく意識を向けている。
そんなちょー具体的なイメージが、
ぽわーんじゃないな、
ドーンと頭の中に湧いたのね。
*これがそのまま、おばあちゃんになったような顔
そこからの安心感といったら、すごいの。
「教室をはじめても、誰も来なかったらどうしよう」
「自分よりずっと長くヨガしてる人が来たら、どうしよう」
「来てた人がやめたら、どうしよう」
とか、そーゆー考えても仕方ないようなことが、
ぜんぶ吹っ飛んだ!
たまに考えすぎてドツボはまったり、
どうしていいか分からないようなことに出くわしても、
あのおばあちゃんの笑顔を思い出す。
だって、おばあちゃんのあの姿にたどり着くのが、
私の目標だから。
そう思えるだけで、小さいことがどうでも良くなる。
もちろん、ちいさな問題と向き合って解決する必要はある。
やり方とか、方向性とか、
頭使うときはあるよ。
えいっと踏み出すのに、もじもじすることもある。
でもね、新しいチャレンジをするときに、
あのおばあちゃんが見守ってくれている安心感。
あのおばあちゃんて、私なんだけど。
不安がねー、だいぶ少ないの。
これ、どんな性格の人にも、
どんな人生を歩む人にも、
みんな使える方法なんじゃないのだろうか。
マーク先生が、トレーニングの最初に伝えてくれた
「私たちは既に手にしているゴールに向かって歩いている」
という、Maharishi Mahesh Yogiの言葉。
それを聞いたとき、おばあちゃんが、また私に微笑んでくれたような気がした。