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ヨガはサプリじゃない
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    ヨガを続けているのに、
    ちっとも
    なにも
    かわらない。

    だから、やめてしまった。

    そういう話しを聞くと、
    あぁ、もったいないと思うと同時に、
    本当にそれはヨガだったのかな?
    と、思う。


    ヨガは纏うものではない。
    足すものではない。
    オプションではない。


    なんつーか
    んーと
    そうだなぁ


    サプリメント的なものじゃないんだよ。
    ふりかけ的なものじゃないんだよ。


    もっと、根っこの部分から自分自身に関わるもの。


    そういう目線でもう一度かんがえてみて。

    「ヨガをしていたのに、何も変わらなかった」

    と、言えるのでしょうか。


    iPhoneImage.png


    ヨガを始める人(この場合、ハタヨガ=身体を動かすヨガのこと)
    その多くは、体調不良や、精神的な不調を改善したいと思っている。
    あるいは美しい自分を求めてという人も、大きな意味では改善ね。


    つまりは、自分自身の身体や心を、今の状態から変えたいんだよね。
    より良い方向へ、自分を連れて行きたいのよね。


    変わろうとしたとき、
    一番の近道は
    「◎◎を◎◎したい」という明確な意思をもっていること。


    たとえば、
    「肩こりをなくしたい」
    という明確な意思をもっているとして。


    ヨガのレッスンの受け方は、もっと変わると思うのね。


    「あ、ココをこうしてうごかすと、ココがポカポカしてくる。」


    これ、第一段階。
    まず、自分の感覚に気づくこと。
    この感覚無しにつづけていても、全くいいことありません。
    これは、断言できる。


    意味ない。


    とはいえ、続けて行く段階でそれに気がつくこともあるから、
    全く意味がないって訳じゃーないと思う。
    だから、気付こうとしながらやってみてほしい。



    次に、理解しよう。

    「ココをこうすると、ポカポカしてくる。ポカポカすると、肩が軽くなった気がする。」


    ポカポカしたのは、なんでだろう?

    動かしたから。

    動かすことによって、この部分が、具体的にどう変化したんだろう。


    そう、血流が良くなったんだよね。


    と、いうことは、普段血流がよくない状態ってことだよね。
    肩こりしてるってことは。


    じゃあ、何が原因なんだろ。
    何をやめたら、または、何を習慣にしたら、
    肩こりから解放されるんだろう。


    と、まぁ、言い出したらキリないけど、
    気付くところから始まって、
    理解して、
    それを日常に持ち込む
    これが出来ていたら、身体は確実に変わってくる。



    生活習慣も変わってくると思うし、
    食習慣も変わってくると思う。


    これは、変えようとしなくても、自然と起こる流れ。



    そう、真面目にヨガと身体と向き合っていたら。
    そして、明確な意図をもっているのなら。



    なんとなく言われたとおりに身体を動かすことをヨガと思ってるのなら、
    この変化は残念ながら、おこらない。
    おこっていたとして、気がつくことができない。


    身体は正直だから、
    目をかけ、手をかければ、あれよあれよと変わっていくよ。


    心はあまり素直じゃないから、
    もうちょっと時間がかかったりするけれど、
    素直じゃない理由は、色眼鏡で自分を見ているからなの。
    それに、手にとって触れないものだからね。
    あやふやで掴み取りにくい=扱いにくいよね。


    身体が正直に変わっていく様子を実感できれば、
    心にもそれを持ち込むことができるという確信が、
    知らない間に生まれている。
    見えないところで、培われている。
    ただ、少しの勇気が必要なこともあるけれど。


    iPhoneImage.png


    ヨガの練習をずっと続けていても
    何の変化もないという人。

    本当にそれは、ヨガですか?


    自分にもう一度聞いてみて欲しい。



    お金がない
    時間がない



    現代に生きる人の多くから、よく聞く言葉。


    それ、無駄なことに使ってませんか?
    せっかくの時間を、お金を、無駄にしていませんか?


    ヨガの練習にくることにも、お金がかかります。
    時間がかかります。


    よりよい時間にするため、
    支払ったお金をきちんと自分の糧にするため、
    もう一度、考えてみてはいかがでしょうか。
    | yoga | 15:13 | comments(0) | - |
    つながるここちよさ
    0
      わたしがハタヨガ(体を動かすヨガのこと)をしていて、
      気持ちがいい!
      楽しい!!
      と思うときは、


      身体への働きかけが、
      変化につながったとき。



      たとえば、立位で前屈をするとき。



      しっかりと足の裏で地面を捉え、

      ヒザ・太もも筋肉を引き上げるように働きかけ、

      脚全体がどっしりと、強く、

      大きな木の幹のように使えると、

      脚のつけ根からすぅっと身体が半分に折れるような、

      無理のない心地の良い前屈ができる。



      さらにそこから、尾骨をおへその方向へ掬い入れるように

      ほんの少し持ち上げる。

      それはもう、小さじ半分程度の働きかけ。



      そうすると、下腹と太ももがぐっと近づいて、

      腿裏の伸びが、さらに心地よい。

      呼吸が無理なく行き届いて、

      吸うときに押し広げられたスペースが、

      吐く息の時に余裕を生む感覚へと変わる。



      そう、ただ単に伸びて気持ちがいいというだけじゃなくて、

      「なにか」と「なにか」が上手いこと繋がって、

      そこに生まれた「なにか」に、うれしい気持ちがわき上がる。

      なんていうの、自分で自分を扱えている感覚?!

      それが、たのしいという感覚に繋がる。



      あー!うまく伝えられなくてもどかしいんだけど。

      ピタゴラスイッチみたいな感じ。

      仕組み と 仕組み がつながりあって、

      ボールがどんどんころがっていくでしょう?

      仕組み同士が繋がらなければ、ボールはとまってしまう。

      そんなピタゴラスイッチ、楽しくないでしょ。

      繋がるから、おもしろいのよ、ピタゴラスイッチは。


      わたしがヨガで感じる心地よさや、楽しさは、もうコレにつきる。



      ここでの働きかけは、マーク先生が言語化したものを教えていただいて、

      さらに明確に理解したものたちなの。

      わかってたし、
      やっていたつもり。。


      でも、解剖学的な視点から、

      つながりを感じ取りながら、

      きちんと誰にでも通じる言葉を使って、

      教えていただいたからこそ、

      「なんとなく」

      行っていたものに、洗練を加えることができた。

      そう思っている。



      そんなマーク先生のシークエンスが、

      なななんと、ユーチューブで見られるます。

      iPhoneImage.png
      関西国際ヨガデー グラウンディングヨガ マーク・シュヴェイマ先生

      グラウンディングヨガというタイトルがつけられてますね。

      グラウンディング 地に足がどっしりとつく感覚のこと。

      それを、ハタヨガを通じて培う、一連の動きの流れです。


      はじめの1分程度は英語ですが、

      動き自体は日本語で案内してくれています。


      うららかヨガに来てくださっている方は、

      「わたなべがいつも言ってるアレって、マーク先生が言ってるの、そのままだ!!」

      っていう視点でみても面白い・・・かな??



      どうぞ、ご覧ください。
      | yoga | 22:42 | comments(0) | - |
      自分の人生だから
      0
        自分の人生を、自分でどうにか出来ると思ってなかった頃、
        この世界にいるのが辛くて仕方なかった。


        親の庇護を受けて生活することは、
        ありがたいことでありながら、苦しいことでもあった。


        「誰が生んでやったと思ってるんだ」
        「誰が育ててやってると思ってるんだ」
        「一人で育ったようなことを言うんじゃない」
        「あんた一人育てるのに、どれだけのお金がかかってる思ってるの」
        「結婚するまで、家から絶対に出さないから」
        「親の立場にならなければ、この気持ちはわからない」


        これらの言葉は、当たり前のことなのかもしれないけど、
        私にとっては呪いの言葉であり、鎖だった。

        ーーーー

        怒りをぶつけ、手を上げるという方法しかとれない母。
        それを、躾だと信じ、わたしの為になると疑わない母。
        全く思考回路の違う私と母は、話し合っても決着などつくわけもなく、
        わたしの気持ちは、いつも分かってもらえていないように感じていた。
        母親の言うことをよく聞き、母親のご機嫌を伺いながら生きることが、
        わたしにとっての生存戦略だった。


        わたしは、「わたし」の形をして生活しているけれど、
        中身の「わたし」はいつも拗ねていた。
        どうせ私なんて・・・言うこと聞いてればいいんでしょ。
        世間的イイコでいればいいんでしょ。
        そんな思いでいっぱいで、
        「わたしらしく生きる」という選択は、
        フタをして底の方に押し込めておいてた。


        ハラペコなのに、目の前のごちそうを食べてはいけないと言われたら、
        すんごいツライよね。
        お腹が空いてたまらない。
        食べてはいけないといった人を、激しく憎みたくなる。


        フタをして底の方に押し込めたって、
        「わたしらしく生きる」という選択肢は消えたわけじゃないから、
        すんごいツライし、その選択肢を隠し続ける人、
        つまり自分を、激しく憎むことになる。


        この世からいなくなってしまいたいと願う日々だった。
        それが叶わないのなら、
        「わたし」の「形」だけで生きられたら、どんなにラクなんだろう、と。
        「わたし」の「中身」を、なくしてしまえたら、どんなにラクなんだろう、と。
        と、思っていた。


        ま、子ども時代なんて、10代なんて、
        だいたいみんな、そんなものなんだろうけど。
        (そう思いながらも、そんな子どもがいなくなればいいなーとは思う)


        ーーー
        ここまでは、私の実感についての説明だから、
        そこだけ読み取ってもらえたらうれしい。
        母親との関係とか、その辺は、一旦おいといてね。
        ーーー


        外側の「わたし」と
        内側の「わたし」が、協力しあえないことは、本当につらい。


        内側の「わたし」が何を言ってるか聞こえなかったとしても
        (実際に私には聞こえてなかった)
        つらいという実感は、常にありつづける。


        つらいのが人生だ。
        思い通りに行かないのが人生だ。


        そういう刷り込みの元に育てられていると、
        気付くのに時間がかかるけれど、


        辛いこともたのしい!と思える人生を歩むこともできるし
        自分の思う通りに人生を歩むこともできる


        今は、そう思うことが出来ている。


        フタをして底の方に押し込めたまま長いこと生きてきたのに、
        それでも光を消さずにいてくれた、中身のわたし。


        ありがとう。


        中身のわたしが光り続けていたからこそツライ時期もあったけど、
        あなたが光を消さないでいてくれたからこそ、
        今こうしてわたしが、わたしの道を歩けている。
        外側と内側が協力しあえている。


        とても、うれしいことだ。


        自分を愛するっていう意味が全く分からなかったわたしだけれども。
        今なら分かる。


        そして、愛していると言える。


        愛するひとにそうするように、
        自分自身を、とても大切にできている。
        そう思う。


        とても、とても、うれしいことだ。


        ぴょん
        iPhoneImage.png
        写真:谷本マコト氏
        | きもちの観察 | 09:04 | comments(0) | - |
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